花鳥風月はひふへほ

埼玉県在住ニートの日記みいななにか。

「まちづくり」よりも「まちの終わらせ方」について考えていくべきでは!

どうもにっしーです。

 

まちづくり(まちおこし)についてのテレビ番組を観ていて思ったのですが、これからは、まちをいかにして終わらせていくか、を考えた方がいいのではないのでしょうか。

 

学問にしろメディアにしろ国・自治体にしろ、まちづくりをしていこうというのはよく見かけます。まあ、それ自体は悪くはないのですが、おそらく、ほとんどの地域が、住民がまちづくりを望まないという事態やまちづくりに失敗という事態に遭遇するはずです。

そんな事態起こるわけない、と思われるかもしれませんが、十二分に考えらます。事実、テレビ番組では、住民がまちづくりにあまり積極的ではないという障壁が発生していました。地域と個々人によって千差万別だとは思いますが、住民がまちの振興を試みないケースというのは、結構あるのではないでしょうか。観光地化や(まちづくりとは少しずれますが)工業の誘致などは、まちを変容させ今まであった地域性を壊しかねず反発があるでしょう。また、新しい住民が多い場所では、地域への関心も低く、わざわざ手間とお金をかけてまでやるのか、という反発もあるでしょう。

私個人的には、まちづくりに反対ならそれでもいい、という感じです。地域をどうしていくか、についてもっとも決定権があるのは原則、そこの住民です。住民が、まちづくりはやりたくない、衰退止む無しというのなら、尊重されるべきでしょう(もちろん、外部はその判断のためにしっかりと調査・情報の提供はすべきですが)。

さらに、まちづくりに失敗、という方はさらに多発するでしょう。これからは、総人口も減り、経済も縮小していく時代です。そのような状況下で、同時多数で各地域がまちづくりを行えば、必然、少なくなっていくパイを奪い合う争いになり、ほとんどの地域が敗れ去るでしょう。

このようにして衰退するまちが増える中で、重要になってくるのは、「まちをどうのようにして終わらせるのか」という問題です。衰退局面になれば、公共サービスの維持、インフラの維持、空き家問題等々、課題が山積になります。これらは、人々の財産や安全にも関わる重要な問題です。各関係機関は、まちづくりの音頭を取りつつも、しっかりとこれらへの対応策を用意しておくべきでしょう。

 

ではまた。